MENU

2016.09.18

相撲の魅力

日本の国技である相撲。

 

幼い頃から当然のように見ていて、

この格闘技を、格闘技として認識することさえしていなかったが、

 

最近、

改めてどういった格闘技なのか考えながら見ていた。

 

考えれば考えるほど

すんごい特殊な格闘技。

 

究極に”潔い”格闘技。

 

そして実に、

日本人的な”心の美しさ”

を追求した格闘技な気がした。

 

そもそもなんであんなに太ってるんだ。

それがとにかくかっこよくない。

 

と幼い私は思っていた。

 

34歳になった私の考える

相撲の魅力を幾つか上げていきたいと思う。

 

相撲好きには何を今更と思われそうだが、

鼻息あらいかんじで、書かせていただく。

 

 

 

 

まず一番特殊で、一番そそられるのが

「立ち合い」

 

幼い頃、行司のいう「はっきょーいのこった!」

は試合開始の合図だと思っていたし、

自分たちが相撲ごっこをやるときもそうしていた。

(ちなみに、はっきょーいのこった!は

発気揚揚 残った という意味で

頑張れよ! 勝負付いてない!という意味。

行司は審判でなく、試合を盛り上げてる人なのだ)

 

が、

違う!

 

戦うもの同士、より相手の虚をつけるかを考えるが、

戦いがはじまるとき、

相撲は、敵と気持ちを合わせなければいけない。

 

優勢な立ち合いをしたいけれど、

お互いに気持ちが揃わないと、試合がはじまらない。

はじめられない。

そして、闘争心MAXに気持ちを揃えた結果

強烈な衝突からはじまる。

 

強烈な衝突!

 

相手と合わせる気持ちを持ちながら

相手をぶっ倒す気持ちでぶつからなければならない。

 

この相反する行為が同居する

相撲の”立ち合い”

 

奥深すぎる。。

 

この意味を分かっていると、

猫だましや、立ち合いでどちらかに逃げるようなことをする力士が

ブーイングを受ける意味がわかってくる。

 

勝ちゃええやん、と私は思っていたが、

 

そうは思わなくなった。

まして、横綱がそういうことをするってのは

 

相撲の魅力を半減させてる気までしてきた。

 

 

ちなみに幕下の力士は、

幕内の力士の戦いに比べると、

立ち合いが合わない場面が多い気がする。

 

立ち合いのクオリティーに関しても、

幕内力士は高い。

 

 

 

魅力1個目で、鼻血が出そうなほど興奮してしまったが

魅力2個目。

 

目を塞がない格闘技であること。

 

ボクシングやK1など、痛そうで、目を塞ぎたくなることがある。

見てるこちらもうわー、と顔を歪めてしまう瞬間がある。

 

相撲だって裸でぶつかり合い、

普通の人がやったら死んじゃうほどの激しい立ち合い。

けれど、相撲は全く目を塞ぐ気がしない。

 

ここで、幼い頃抱いていた

「なんで太ってるんだ」

という疑問が解決出来る。

 

相撲は

「太らなければいけない格闘技」ではない。

 

あの体は、アメフト選手がつけている防具と一緒だ。

肉体が防具。

激しい立ち合いにも耐えうる肉体。

 

実際にはそれなりに痛いのかもしれないが、いや痛いと思うが

見ている側としては、あの太った体同士がぶつかっても

そんなに痛そうには見えない。

 

 

また、狭すぎる土俵でのほぼ一瞬で終わる戦い。

体格による階級のない相撲では

重いことは非常に有利。

しかし動きが鈍くなるなら重みは無意味。

動ける筋力をもってしての重さだ。

 

腰を低く、相手の体重を自分に乗せても動けるほどの

筋力を持ち合わせているのが

 

あの巨体、あの防具なのだ。

 

それが分かると、

あの太鼓腹や、豊満な胸など、

全てが美しく見えてくるから不思議だ。

 

 

 

 

次、

相撲の番付。

相撲には幕内と幕下があり

力の違いすぎる力士同士が戦うことはない。

 

それにより怪我などの危険は回避出来ると思う。

 

優しい仕組み。

 

そして土俵入り。

十両と幕内力士は、場所中は毎日土俵入りという儀式を行う。

あれがかっこいい。

試合ではつけない化粧廻しは、力士自身の出身地やスポンサーなど

応援している人や、世話になっている人たちが喜ぶ内容にすることが多く、

よく見ると、デザインは古風ではない。

 

番付に従って、

強ければ強いほど後の方に登場する。

大関は、横綱を省いた力士の中で一番最後に入ってくる。

かっこいい。

 

横綱なんて、全員一人づつ(二人を従えて)

土俵入りする時間が設けられている。

 

番付により、力士としての格付けが明確で

強くなればなるほど、自分を誇れる儀式だ。

 

儀式というと、とても堅苦しく感じるが、

そもそも儀式というものは、実態に付随するものであり、

本来はあってもなくてもいいもの。

 

儀式を作ることで、モチベーションを上げたり、勇気付けたり、安心したりしたいから、人々は儀式を行ってきた。

 

相撲でおこなう、土俵入りの儀式は

 

観客のワクワク感をあおり、力士のモチベーションを上げる、

素敵な儀式だ。

 

 

 

 

次、

相撲の解説。

 

どのスポーツも格闘技も、選手を気遣った解説を行うが、

相撲の解説者はそれに比べるとかなり辛口に感じる。

 

「これじゃダメですね」とか平気で言う。

 

解説者の主観はあれど、まわりくどくない言い方で理解しやすい。

 

 

 

 

 

相撲は、ほぼ裸。武器は無し。己のみ。

できることは、押す引く倒す張り手。

あの巨体には小さすぎる土俵。

制限時間もある。

 

ほとんどの試合が、数秒から数十秒で勝負が決まる。

 

相撲の力士は、喜怒哀楽をほぼ顔に出さない。

 

対戦相手と

裸で己のみで、真摯に向かう力士は

 

勇敢。

 

相撲には、どの格闘技より、理を感じる。

 

美し。

 

 

突然熱くなったが、一度も生で見たことがない。

次の東京場所で、初体験したい。