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2016.05.30

うすれてきた罪悪感

うすれてきた、母親への罪悪感。

 

近所の友達と家族でディズニラーンドへ行った、小学校1年生の私。

ジェットコースター嫌いな母親を

 

「絶対大丈夫だから、全然怖くないよ!」

と、姉と一緒に猛烈に誘い、

 

やっとの思いで、ビッグサンダーマウンテンに踏み切った母。

 

2時間待ち中、

意気揚々と、

「大丈夫だよお母さん!たのしいよ!」

と、ジェットコースターを楽しめる自分に酔いまくっている。

 

2時間が過ぎ、いよいよ下り坂の待ちエリアに入ろうとしてるあたりで

嫌な感覚が私の全身をまとった。

 

「トイレに行きたい。。(小)」

 

数分我慢してみるも、

とまるどころか、どんどん強くなっていく、したい感覚。

 

(ジェットコースターに乗ったら漏らすかもしれない。)

 

いやいや、漏らさないでしょ。ビックサンダーマウンテンごときで、

と、今なら思うが

 

小学校1年生の私には、拭えない不安だった。

“トイレ我慢”の経験値がまだまだ浅すぎた。

 

そして、絶対に言ってはいけない一言を言ってしまった。

「お母さん、トイレ行きたい。。」

 

その日、お父さんがいなかった。

 

一人でディズニーランドをウロウロできるほどの勇気は

小学校一年生の私には、まだ無かった。

 

一世一代の決心で乗ることを決めた母親。

2時間も並ばせた挙句

 

自分のトイレのために、それを諦めさせる結果になった。

 

 

思い出は美化される。

 

その時、母親はガッカリする顔一つせず、

はじめは笑いながら、その後は通常通り、

一緒にトイレに行ってくれた。

 

記憶。

 

トイレを済ませて、母親のところに向かう時のバツの悪さ。

 

 

この記憶は、その後30歳を迎える頃まで、

母親への罪悪感としてねっとりと残り、

また、何をしても、母親は許してくれる、

という、母親の愛情を感じる行為でもあり、

 

思い出すたびに、何とも言えない気分になっていた。

 

 

近頃は、

もはや自分が親の世代。

子どもは居ないが、

今は子供の気持ちより、親の気持ちがよくわかる。

 

自分が母親でも怒らなかっただろうし、

むしろネタにして一生カラカエルくらいに思ったかもしれない。

そして、ここまでして待ったのに乗れなかったってことは、

乗るなってことなんだな、

と、むしろ嫌いなジェットコースターに乗れなくて

よかった

とすら、もしからしたら母親は思っていたかもしれない。

 

彼女はその後、二度とジェットコースターに挑戦することは無かった。

 

 

罪悪感がやっと薄れてきて

嬉しいような、寂しいような。

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