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2016.06.28

事柄の美しさ

先日、私の写真の師匠と、とある飲み屋さんで呑んでた。

会えば、なんだかんだ写真の話も必ずする。

 

師匠がプライベートで撮る写真の話をしていたのだが

「好きな写真は編集しない」

と言っていた。

編集というのは現像する前の補正のことで、

今は、誰でもInstagramなどスマホアプリで優れた編集ができる。

 

 

 

 

先日、ハーフバースデイを迎える赤ちゃんのいる家族写真の依頼を受け、

アイディアを仕込んで、お客様ご自宅の最寄駅まで行った。

 

 

夫婦のオーダーは、

自分たちの住む町で撮って欲しい。

ありのままの、今の赤ちゃん。

 

到着するまでは、

公園か何かで撮るのかな?と思ってアイディアを仕込んで行ったが

今回のオーダーは

ドキュメンタリー。

 

駅で希望を聞いた時は、

その夫婦の希望の本意を読み取れていなかった。

 

撮りながら、

どんどん指示を出すのが気持ち悪くなってきた。

 

 

今日、写真のセレクトをした。

なんて美しいシーンがたくさんあるんだろうと思った。

 

赤ちゃんは、私が撮ってることなど、風景の一部でしか無い。

たまにカメラを見るけど、

町の中にある、いろんなものを見てる。

大人に比べたら、たぶん何十倍も見てる。

嬉しければわらう。不快なことがあればしかめっつら。

 

 

セレクトし終わると、はじめに戻って編集。

ただ今回、編集することに違和感を感じた。

 

生データのまま一度現像した。

 

編集したく無い、という気持ちになったのは初めてで、

師匠の言っていたことを思い出した。

 

 

 

作りこむのがダメで、

ドキュメンタリー写真がより素晴らしいということでなく、

 

ただ、今、私は、

本当に起きたことに、ゾクゾクするし、美しさを感じるよう。

 

 

写っている”そのもの”が美しいか

写っている”事柄”が美しいか

 

の違いかなぁ。

 

手を加えたくなくなる不思議な感覚。

 

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@chelsea  NY