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2017.10.14

PEOPLE at PEACE

 

「相手と意見が合わない時は、殴っていい」

どの親がこんなこと教育するだろうか。

 

今、紀元前の「人間」がどのような世界を築いていたのか気になっている。

今のように、人と人とが、争い続けていたのか。

地球を傷つけ続けていたのか。

 

 

学校で教えてくれる歴史を遡る限り、人間は争いばかりである。

72年前に日本では戦争が終わったけれど、

私はたまたまその72年の間に生まれて、まだ戦争が起きていないから

リアリティがないだけで、今も起きているし、これからも起きそう。

 

最近わかったことがあって、それは

嬉しいとか気持ち良いとか幸せとか、そういう気持ちが溢れる時、

すべて、そこに「調和」があるということ。

 

調和するって、すごく嬉しいことだな、と思って

自分の思う嬉しいことをあげていったら、そこにはすべて調和があった。

 

 

誰もが知っている 、調和から生まれる「嬉しい」という感情。

 

 

 

「対話でなく圧力」

という国に、また日本がなるなら

 

なんと愚かなことであろうか。

 

 

 

今年のはじめに、母の故郷である長崎をひとりで訪れた。

 

 

原爆資料館から、平和公園へ向かう途中、

原子爆弾落下中心地碑があった。

 

とても静かな場所だったのだが、

収束感というか、人の念が、ものすごい数で集まっていて

 

誰の涙なのかわからないが、耐えきれず、涙が出てきた。

 

破壊ではなく、調和に頭を使って欲しい。

 

人ひとりが生きている時間にできることは限られているけれど、

不調和な「戦争」というものを、同じ「人間」が起こすのであれば、

そうならないよう、行動し続けるしかない。

 

自分が死ぬまでにはそうならなかったとしても、

 

いつか争いの無い調和のある世界が訪れるよう、

行動するしか無い。

やれることは人それぞれ違う。

 

でも誰もが「調和」のために行動できると思う。

 

photographer SHAR