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2020.04.09

世界観

午前中買い物がてら軽く散歩して帰ってきて入れたコーヒー。

食事もおやつもとらずに飲んでいるコーヒーの水面が綺麗で、

艶っつやしていた。

 

埃一つ浮いてなく、油とかも浮いてなく、

「見てこれ、綺麗、埃一つないし、すごくツヤツヤしてる。綺麗じゃない?」

と夫に見せると

「埃あるけど」

と言われもう一度見直すと埃が浮いていて、

「あ〜さっきは浮いてなかったのに。。💢(君が覗いたから埃が入った)」

と言った時、

 

一体、ひとりで何の大会を開催してるんだろう。

と思った。

 

 

こういうのよく、夫とは「世界観」と呼んでいるのだが、

我々夫婦は、こういう勝手な大会(ルールや制限をもうけて何かする)を

勝手にひとりで開催し、相手を巻き込むことが度々ある。

 

なれ親しんでくると、友達の前でもその「世界観」が出てしまったりするのだが、

時に全く”謎”な顔をされたり、ちょっと引いているように見えたり、全く無視されたりと色々である。

 

 

その「世界観」は基本的には外に出ないようにしているので、

多くの人は公の場での私を変な人だとは思っていないと思うが、

 

しかし、この謎の「世界観」は子供の頃から消えることはない。

 

 

小さな頃「おままごと」を皆がやった経験があると思うが、

この「世界観」はこのおままごとの延長線上にあるような気もする。

 

特に私は、家や家の庭という広いロケーションを悠々と使って、

一人芝居をよくやっていたのだが、

さすがにそれをやることは無くなったものの、

その「世界観」は今も時たま現れる。

 

家族だから共有できるものでもなく、

むしろ私の親姉妹はそんな私を見て

「変な子」だと思っていたと思う。

 

友達が全員その「世界観」を理解できる人かというと、やはりそうでもなく、

共感できない友達よりも共感できる友達の方が親友、というわけでもないのだが、

 

その「世界観」を持っている人は、私の周りにも稀にいる。

それを公には客観視していることもあるが、そういう人を見るとなんだか嬉しくなる。

 

その「世界観」が好きなのだと思う。

 

おそらく子供の頃は誰しも持っていた「世界観」なのではないかと思うのだが、

大人になってもその「世界観」を垣間見せる人は少ないのかもしれない。

 

私にとって、その世界は一時的な幼児返りであり、癒しの場なのかもしれない。

 

photographer SHAR